とらえ方

たとえば、ブログの文章でも、僕の意図とは、

全く別のとらえ方をされる方がいます。

なぜ、そのような解釈をされるのか、僕は不思議で

なりませんでした。

けれども、考えてみれば、読み手というのは、

文章を読んでいる間にも、さまざまなことを、

連想するのではないでしょうか。

同じ言葉をしゃべっても、話す人によって全くイメージが

変わるように、読む人の想像力によって、

簡単なメッセージさえ、悪意に受け取られてしまいます。

受け取った人も、嫌な思いでしょう。

自分の心をまっさらにしておくことは、そういう意味でも

必要なことかもしれません。

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普遍的なテーマを好んで書かれていることや、良い意味で言葉足らずであることも、読者の想像を掻き立てる背景にあるのかもしれませんが、

作品は世に送り出した瞬間から、書き手を離れていく、解釈は読み手に委ねられているということではないでしょうか。

どんなに心尽くしても、全ての人間の善人にはなりえないですね。

それでも

直樹さんのまっさらな心から、大切なものをうけとり、毎回はっとしたり感動したり。目から鱗が落ちたり。。。
私は心を揺り動かされています。
このblogをのぞいて、一日の終わりに、何かこころの整理させてくれる感じがします。
7才の自閉の男の子がいます。
毎日、この子からも何かを教えられているのでしょう。
やっぱり、この子もまっさらな心で、毎日身の回りの景色を見ているのでしょう。
まだ生活面では困ることもありますが、絵が大好きな、かわいい小学一年生です。
直樹さんみたいな、きれいな深い心の、人になってほしいです。

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は思いもつね。 障害者を取り巻く環境は、ときに感情的になりがちです。東田直樹 ただし、読者は作者を選ぶことはできても、作者は読者を選ぶことはできません。作者が読者の感性に意見することは、あまり感心しません。 ません。作者が読者の感性に意見することは、あまり感心しません。 。

障害者を取り巻く環境は、ときに感情的になりがちです。

こころの状態というよりは、言葉に必要以上の感情を持ち込まないことのような気がします。言葉に依存する私達には思いもつかない発想ですが、その通りですね。

ただし、読者は作者を選ぶことはできても、作者は読者を選ぶことはできません。作者が読者の感性に意見することは、あまり感心できません。

小道モコさんのブログです

43歳の、自閉症スペクトラムの認定を受けている女性のブログです。
直樹さんのブログとコメントに目を通したら、是非読んで頂きたいなあと感じコピーしてみます。


年末にこの一年を振り返るのは好きじゃない。「年末」じゃなくても、振り返ることはできるし、大晦日と元旦はたった一日のチガイなのだから、あらたまる気になれない。でも、心はソワソワ、少し大掃除のマネゴトをしてみたり、「黒豆ってどうやって煮るんだろう・・・。」なんて考え 今を過ごしている。 いつの間にか世の中の流れにたゆたう自分がいる不思議。

 わたしは2010年の9月に、ひとつの意志をかためた。

この時の日記に、「自分の身に起きる様々なことを、コレもアレもソレも、すべていつか、金に換えてやる。」と書いた。「守銭奴宣言」と名付け、デカデカと力強く日記のタイトルに掲げた。(「守銭奴宣言」と言っても、自室の日記に書いたことなので、誰に伝える目的もなかった。「宣言」ったって相手は自分。 当時は、 自分自身のことを描き/書き 残すことに、おおきな戸惑いと恐怖を感じていて、それでも描く/書くしか方法がなくて・・・。でも、どんなに苦痛を伴う作業でも 「お金に換える」 と思えば、できるような気がした。今振り返ると、本当によくやったなー、と思う。

その日記を 今 眺めながら、年末の慌ただしさに わたしはソワソワしている。

「宣言」したあの頃は、年末の慌ただしさの中に「自分」はいなかった。「世の中」と「自分」が同じ時制を生きていると、思えなかった。この時期は、最初の本『あたし研究』の出版から一年が経ち、『あたし研究2』に着手しており、講演活動などもぼちぼち入り始めた頃だった。

わたしは、「イケないことをしている感覚」にしょっちゅう苛まれ、苦しんでいた。自分のことを絵(イラスト)や文章で表現することに、罪悪感があり、「おとうさん、おかあさん、ごめんなさい。こんなわたしをゆるしてください。」と本気で思っていた。でも、生きていくには描かねば(書かねば)ならず・・・。金銭的にも精神的にも、肉体的にもつらかった。

日記にはこう記してある。

「ハングリー精神を糧に、味わって闘って乗り越えていくしか方法はないようだ。」

生活していくだけの仕事はない。仕事につける見通しもない。しかし親とはうまくいっていない。だから頼れない。「わたしは一体どうやって生きていくんだ?」と考える日々の中、絵(イラスト)を描いているときだけが、現実世界から解放される 自由な時間だった。

「守銭奴宣言」と名うって、自分を説き伏せ、自分の心のうちを人様に晒すことを決意し、もう四年以上経つのか・・・。

今年、三冊目の本 『ありのままの生活』を出版し、本を出すことに少々鈍感になってきている。「印税」という言葉のもつニュアンスとは裏腹に、どんなに身を削って書籍ができても、懐に入る分は、生活していくのに到底十分ではない、ということをあらためて感じている。でも、描く/書く ことで、わたしは確かに救われた。

「金に換えてやる」以上のものを、感じている。

 誰のために描くのか。誰のために書くのか。

やっぱり自分のためなんだろう。

「これはわたしの人生。わたしは、社会や親のために何かをする以前に、自分で自分を生かさなければならない。」と何度も自分に言い聞かせる必要があった。だから日記でわざわざ「宣言」したのだろう。

オトナはよく言うでしょう。
「ちょっと絵が描けたくらいで、画家にはなれないよ。」
「ちょっと作文ができるくらいで、小説家にはなれないよ。」
この言葉のトリックに わたしもドップリ浸かっていた。
(「○○だからと言って、食べていけるワケではない。」という言葉のトリックは、誰を戒めるためにできたのだろう?)
わたしは長い間 この言葉の呪縛から逃れられずにいた。そして、そんなことに人生をかけては「イケナイ」と自分を戒めていた。

しかしどうだろう。

人間には、お金を稼ぐより大切なことがあるのではないだろうか。

絵を描くこと、踊ること、歌を歌うこと etc. それぞれカタチは違えど、お金や食料とは異なる次元で必要な 「生きていくためにすること」がある、とわたしは思う。「好きなこと」は確実にその源泉になる。明日を迎えるエネルギーになる。

 今年はわたしにとって、非常に大きな転換期となった。

 この5月から、NPO法人で、スタッフとしての勤務が始まった。「英語であそぼう」という名のクラブを担当し、文字通り、英語を使って子どもたちと遊んでいる。児童デイケアサービスで関わる子どもたちはみな、宝物箱のように個性が豊かで、学ことが多い。自閉症スペクトラムという光り輝く特性に、魅力を感じずにはいられない。

 振り返ったら、今年わたしは絵(イラスト)をあまり描いていない。(ブログの更新も少なかった。)自分に没頭する時間が短かかった。年末を迎え、「よいお年を~。」なんて当たり前の顔して挨拶している自分に気づき、驚いている。ずっと「いつの日か、自己表現から逃れ、社会の中に紛れてみたい。」と願っていた その想いが現実になった・・・。

 わたしは社会の中にいる「自分」を生まれて初めて感じているのかもしれない。だとしたら それは子どもたちとの関わりで生まれた感情のように思う。

子どもたちもいずれ 地域/社会で それぞれ 彼ら彼女ららしく生活していく。それには、何が必要なんだろう、と考える時、わたしは、「自分自身」と「社会」をどう捉えているのか、知る必要性に気づいた。社会という単位の中に生きるとは、どういうことなのか、いまだによくわかっていないけれど、子どもたちの将来を考えるとき、そのことについて考えることを避けては通れないようだ。

好きなことがあれば、食べていける。好きなことがあれば、いつの間にか社会の中に居場所ができる。このわたしの確信は、どこからくるのかわからない。けど、もしかしたら、子どもたちはもう既に知っているのかもしれないな、と思う瞬間がある。

 「なにをするのが好き?」来年も、それぞれの子どもたちの好きなことを一緒に探していきたい。

 以上です。

 勝手な推測ですが東田さんにネガテイヴコメントを送っては溜飲を下げている方が複数いらっしゃるのでは? 今日の直樹さんの文章には辛さ哀しみを感じてしまいました。

 このブログは東田さんの生活圏です。読者の在り様として、文意に同意出来ないのなら素通りすれば良いのです。

先ほどコメントさせていただいた者です。

東田さんから助けをいただきたくて、ブログに到達した方が、東田さんの意図を文面からくみ取れなかったりすることもあるでしょう。それは東田さんの責任では全くないのです。

東田さんご自身が読者を選び、その読者に向かって想いを綴ってみてはいかがでしょうか?


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想像出来ないくらいの努力を積み重ねて言葉と言う方法で私たちに伝えてくれている気持ち。
その一つ一つが、私にはとても優しくて尊いものです。
ありがとうの気持ちでいっぱいです。
私は、受けとるばかりで何もできないけれど、
東田さんの瞳に映る景色や、目や耳にする言葉がどうかあなたを笑顔にしてくれるものでありますようにと祈っています。


会話が成立しているように見える人の間にも 、
口から出た言葉とは全く違う受け止めかたをしたり、
されたりすることはよくあります。
それは初対面の人や立場の違いの幅が大きな人同士の会話よりは
友人、知人との会話で多く起こるようです。
前者の時は会話が滞らないように、あまり真剣に聞かずに肯定的な返事を心掛けたり、
できるだけ多く吸収しようという片側の意識が働いているからで、
直樹さんの講演会での感想の多くは吸収意識の成せる技かもしれません。
友人、知人との間では言葉そのものより、話し方によって違いが出てくるきがします。
誰か1人が会話の全体の割合の中で長時間喋り続けていると、
それを聞き続けることに疲れてきて聞き手の頭の中で分析が始まります。
この人は知識をひけらかしたいのか?不幸自慢なのか?、と。
喋り続ける本人も気づいていない内面感情ですが、結構当たっていると思います。
ブログの発信者と読者の間にも同じことが起きるのだと思います。
だから「ブログ炎上」という事故も起きるのでしょうね。
あれは本人に対する文句より、同じ意見の人同士の連帯感が成せる技だと思います。
読み手はじっくり分析して冷静(ある意味冷徹)なメッセージを送ることができます。
顔を合わせて会話している時はその思いを実際に口にすることなく会話は終わります。
「今日は皆と楽しくおしゃべりできていい日だった」と思った人も、
そう思っているのは自分だけなのかも知れません。
仲良し同士ほど気を付けたいものです。
そうしてみると、言葉や話は半分以上伝わらないと覚悟する必要があるようです。
ただ、反対意見を言ってくれる人も「何かしらの形で繋がりたい」気持ちがあると思えます。
賛成、反対どちらの意見も少しずつ取り入れられるとバランスのとれた感覚が持てるような気がします。

以前読んだものに次のようにあり、記憶に留めておきたいと書き記していたものがあります。

『人は自分がすでに知っているものと比較して初めて何かを理解することができる。
理解とは「行動に先立つもの」である。
何かをする前には正しい理解がなければならない。』(by建築家、グラフィックデザイナーのリチャード・サウル・ワーマンさん)。

解釈はまたそれこそ個人個人となるのでしょう。
そして更には何をもっての`正しい理解´となるか、になりますから・・・。


直樹さん、今日もありがとうございました(*^_^*)

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東田さんだけに限った話ではなく、どの作家にもありうる話ではないでしょうか。

東田さんは、みんなに好かれようと努力してはいませんか?もし東田さんが、自分が嫌われていると感じる人がいるのならば、今は嫌われたままで仕方がないのです。その代わりに、東田さんを好きでいてくれる人を大切にしてほしいなと思います。人の気持ちは、時間と共に変わっていくかもしれません。

これからも頑張って下さいね。


悪くはない

気分がめっちゃ落ち込んだとき、東田ワールドに浸るのも悪くはない、という気がします。絶望の隣にはいつも希望がある、というのも真実であると心が感じるから…。

直樹さんのの言葉が大好きです。一つ一つ大切に心にしまっています。
自分の心をまっさらにできない人のささくれた言葉であなたが傷つくことのないよう、いつも祈っています。

人それぞれ

初めてコメントさせていただきます。
最近お友達から直樹君のドキュメンタリーを耳にしみました。そしてブログがあるのも知って
アーカイブのはじめから、そして最近の書き込みを読み始めています。
たくさん学ばせてもらってます。

十人十色という言葉があるように、いろんな生活環境で育った人々がまったく同じ感覚で理解できることは、奇跡的なことなのかもしれません。
「疲れた」の一言がただの体の疲れの表現でも、他では「疲れた」という表現は「怠惰だ」疲れたと思うから疲れるんだ・・と親から周りから言われ続けていたら、[疲れた」という言葉はネガティブなものという意味も含まれてしまう・・・そういったいろんな一言がそれぞれの意味合いに取れてしまうのは、仕方ないことなのだと感じます。
そして、読者側の受け止め方も、鏡のように映し出されたものの良い部分に目を向けたいと思えばそれが見えてくるし、悪い部分に目を向けたいと思えばそれが見えてくる・・・
何か学びたいと思えばそれに気付かされる・・・

それぞれ違う見方があることで、学ぶことができるのだと思います。
ネガティブがあることでポジティブが見えてくるように・・・
これからもブログ楽しみにしています。

東田さんをファンが過剰に保護する必要があるのか疑問でもあります。そのことがアンチファンを追い詰めてしまっているかもしれません。

東田さんには才能だけでなく、これまでのキャリアを築きあげた精神力たくましさも兼ね備えていると作品から感じます。年齢も立派な成人です。

もし障害者を聖域に押し込めてしまう善意が、東田さんを傷つけてしまう結果になってしまっているのならば、残念でなりません。

山を高く登るほどに、風はより強く。

尾根へ。頂へ。
より高い場所へ登ろうとする方は、あらゆる方向から、より強い風を身に受けるのですね。

谷の木陰に身をひそめていれば、避けられる風。
進めば浴びなければならないその風を引き受けて、なお一足ずつ前へ進んでいく方に敬意を抱きます。

そしてその勇気の背後に、東田さんの愛の意志を感じます。

直樹さん、頑張れ!

最近の懸案事項:小道モコって・・・

最近の懸案事項:小道モコとは誰なのか。
わたしは、仕事上での写真やビデオの撮影をお断りしている。記録用に撮影するにしても、わたしの顔と名前が特定されないように、配慮をお願いしている。いはゆる「顔バレ」を避けるため。「小道モコ」も本名ではない。

どうしてペンネームで活動し、どうして「顔バレ」を避けているのか。

それは、一言でいうなら「自分で自分を守りたいから」。

何かを公(おおやけ)に表現すれば、同時にほぼ同量の誤解が生まれる とわたしは思っている。表現したことは、わたし自身の身体から離れて 独り歩きを始める。自分の手から離れた以上、受け取り手がどんな捉え方をしようと それはそのヒトに任される。

読者やaudienceが、どう受け取るかは自由なので、共感を期待するのと同時に、本意でない受け取られ方をされる可能性がある、ということも併せて考えている。

自分も自由に、受け取り手も自由に・・・という状態を保つために、わたしは本名を名乗らず、ペンネームで書いて/描いている。(もともとは、家族にバレないように、という大命題があったけど、これは脆くも崩れた。)

自分が表現したものと、私生活の距離は、なるべく遠くしておきたい。

例えば、銀行や病院で名前を呼ばれ、「あ、知っている」と見ず知らずのヒトに認識されることを想像しただけで、、、ツカレル。

できれば、一生誰にも認識されず、小道モコを続けたい。

たかが本を出したくらいで、たかが講演活動をしているくらいで、世の中のヒトのわたしに対する興味など、たかが知れてるとは思うけど・・・。

自分の表現が、自分の手を離れ、公(おおやけ)になるということは、他者の介入を許すことだと言えるだろう。他人に絶対に介入して欲しくないとしたら、自室で机の引き出しにそっとしまっておく。本当に知られたくないことは、誰にも言わないし「誰にも言わないでね、、、」と誰かに言うことなど、、、わたしにはない(、、、と思う)。

自分の手を離れた時点で、表現は自分のモノ(所有物)ではなくなる。

でもそれは、自分の手を離れたものが、他人の中に成長してゆくという希望でもある。

わたしは自分の一部を売っている。(自分自身を売っているワケではない。)

自分の一部を少しずつ切り売りし続けるには、なるべく確実に自分を守らなければならない。

わたしも自由に表現したい。そして、受け取り手にも自由に受け取って欲しい。

だから、小道モコが誰なのか、バレるのは、困る。

なるべく長く、自分を切り売りできるように、受け取り手の方々には、ぜひご協力いただきたい。
 などというこの表現も、パソコンの Enterキーをポチッと押して、ブログにアップすれば、わたしの手から離れるわけで・・・。あぁ・・・。



インターネットを使う者として、考えさせられる日々を送りつつ、立ち止まることもできず、今日も中途半端に表現をし続ける。

なんてことだ・・・と思いつつ。希望も抱きつつ。
プロフィール

東田直樹

Author:東田直樹
会話のできない重度の自閉症。自閉症、絵本、詩集など21冊の本を執筆。東京大学(2回)、福岡女学院大学ほかで、講演会を開催。パソコンおよび文字盤ポインティングにより、援助無しでのコミュニケーションが可能。

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