疑問

どの人間が、かわいそうなのか、それを決めるのは、

誰なのでしょうか。

あるいは、どういう基準で決まるものなのでしょうか。

こんな風に、わからないままにしていることが、

世の中にはたくさんあります。

答えがわかっても、すっきりしないのであれば、

それは疑問の解消にはならないと思います。

知ることで問題を解決することはできても、

心が満足するとは限りません。

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※再放送 NHKスペシャル「自閉症の君が教えてくれたこと」

2016年12月14日(水) 午前0時15分(50分間)

ご興味のある方は、ここをクリックしてください。

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気持ちを伝えたい

NHKスペシャル「自閉症の君が教えてくれたこと」を拝見しました。
東田さんの繊細で温かい心に驚き、そして感動しました。涙が止まりませんでした。
我が子2人も自閉症です。

しかし、とても悲しかった場面もありました。ディレクターが私情を挟みすぎていることです。ハンディを抱えるようになったから、同じく、ハンディキャップのある先輩に前向きな意見を聞きたい、そう言っているように聞こえてしまいました。ハンディのある者とない者を、くっきりと分けてしまっている考え方がそもそも偏見ではないかと感じざるを得なかったです。
私は、東田さんの繊細で温かい心は、自閉症者だからではないと思っています。東田さんの個性です。自閉症者も健常者と同じように、考え方や性格は千差万別です。綺麗な言葉を紡ぐ東田さんに、自閉症者の代表のような接し方で話をして欲しくないと思いました。番組を拝見しながら、ディレクターの無神経な言葉にとても胸が痛くなりました。

10日の再放送と、11日の初放送とで、表現が変わっていく東田さんの言葉を感じ取ることができ、これからも聞いていくのがとても楽しみになりました。

ハンディがあろうとなかろうと、その人はきっと幸せを探す努力をすべきですよね。私も、私の息子たちも。前向きになりました。ありがとうございました。

昨日、NHKスペシャルを見させていただきました。たまたま見始めのですが、最後までぐいぐい引き込まれました。
そして気がついたら直樹さんの発する素敵な言葉たちを、一語一句メモしている私がいました。
何度も読み返したくなる本当に素晴らしいことばがいっぱいで、めちゃくちゃ感動しました。絶対に本も買おうと思いました。
偶然テレビを見ることができて本当に良かったです。ありがとうございました。これからも応援しております。

ありがとうございます

今回も、素晴らしい番組をありがとうございました。
私の娘は自閉症スペクトラムです。
だから、東田さんに興味を持ったことは、事実ですが、もし、娘がいなかったとしても、東田さんが自閉症でなかったとしても、作家の東田さんのファンになったことでしょう。
それと同時に東田さんが自閉症で、娘が自閉症であるために、出会いがあったのも事実です。

命のバトン
よりも
人生を完結すること。
深い言葉でした。今を一生懸命に生きます。今を一生懸命に生きることができていて、幸せです。
噛み締めながら、今晩はとこにつきます。
娘のことを理解をしたい、いつもそう思い生きてきて、理解できてないと落ち込んできました。
そんな気持ちを軽くしてくれて、ありがとうございます。
娘はいなければ、今の私にはなってないと思います。障害はあれど、かけがえのない娘です。
娘が私を理解してくれてなくても、充分と思っていましたが、
娘が色んなことが分かっていると中学の頃から気づき始めてはいました。テレビや東田さんの本で、確信が持てました。娘が私を理解してくれていることを教えてくれて、ありがとうございます。
自分のことで悩んだりすることが苦しい気持ちになることも、東田さんから教わり納得です。

いつか講演会に行きたいと思います。
またブログで、教えてくださいね。応援しています。

そうですね、
誰がどんな基準でかわいそう、を決めているのでしょうか。

私の経験した中で思うことは、かわいそうには少なくとも2種類あるということ。心からそう思い自分に何が出来るのかと考えるような想い。そしてなんて酷い、と思いながら結果的に悪意なく対象を見下している想い。幸か不幸か私の同年代には後者がほとんどなので、時々本気でかわいそうという感情を持つ自分が変な気がします。

それでも結局、私は自分の思うかわいそうの定義や程度で物事を考えながら生きていくのでしょうけど。

かわいそうな人

はじめまして。

昨日、NHKの直樹さんの放送を観ましたが、直樹さんは、とて洞察力のある方なんだなぁと、思いました。

かわいそう、気の毒な人とは、いつも、悲しみや怒りに支配されている人だと私は、思います。障害があっ
てもなくても、そういう心にいつも支配されている人は、かわいそうに見えます。

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かわいそう=恐怖心

はじめまして。
テレビを拝見いたしました。
とても心が揺さぶられました。
ありがとうございます。


誰かをかわいそうと思う。

それは、本人の「恐怖心」からくるものだと私は考えています。

もし、自分がそうだったら、きっと辛いから。

ミッチェル氏にとっては、ご自分に友人がいないという状態は、寂しく、辛いことなのかもしれません。


私も、思いもよらないことで「かわいそう」と言われたことがあります。

結婚していないこと
子供がいないこと
一人暮らしなこと
夜に一人で夕飯を食べていること


私は一人の時間が好きなのですが…。

けれど、私にかわいそうだと言った人にとっては、これらはあまりに悲しく、そうはなりたくない…という恐怖が心のどこかにあるのでしょう。


昔は、「かわいそう」と言われると、まるで自分の生き方を否定されているような感覚に陥り、ムキになって反論していました。


ですが最近は、わりと平気です。

それは、今とは違う自分にも興味を持てるようになったからです。


もし結婚したら、嬉しいかもしれない

もし子どもがいたら、楽しいかもしれない

誰かと暮らし、共に夕飯を過ごしたら、とても幸せかもしれない…


そう考えると

なんだかウキウキする自分がいます。


今の自分でも私は充分に幸せです。

きっと私は、どっちに転んでも、どんな生き方を選んでも、幸せであろうとするのでしょう。


かわいそうと言う人の内なる恐怖心も

かわいそうと言われて傷付く心も

全ては、自分にとっての幸せを追い求めているからこそ、生まれる感情なのだと思います。

No title

放送をみました。
すごく心に響いた言葉がありました。
「人はどんな困難をかかえていても幸せをみつけ生きることができる」
東田さんの言葉に感動しました。
東田さんとの出会いに感謝です。

放送拝見しました

娘二人を持つ母です。自閉症ではありませんが二人とも不登校です。
社交的な長女はそれでも自分で進む道を決め、来春社会人になります。
新しい環境に馴染むのが苦手な次女は世間の常識からしたら引きこもりです。
親ばかをお許しいただければ成績は優秀で何事もそつなくこなします。
勿体ない、その才能を伸ばしてあげたい、お友達だって沢山できるのに...。
ずっとそう思っていました、可哀そうとすら思いました。
彼女なりの居場所も見つけ、趣味もあり、穏やかに暮らしているというのに。

義務教育年齢でもありますし、まだまだ「普通に学校に通い、普通に暮らしてほしい」気持ちにさいなまれますが、彼女は決して可哀そうなのではないと思えるようになりました。

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今回も、、、

今回も素晴らしくて感動しました。
前回と比べて直樹さんの変化を感じました♡

友達にも番組をみてほしくて声をかけたら、
4人の友達が見たよー。感動したよ。
直樹さんの考え方がすごい。それは障害とは関係ないね。自閉症について知れて良かった。可能性があるね。
などなど、感想をくれました。

もっともっとたくさんの人に直樹さんのことを知ってほしいです!

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拝見しました。

番組拝見し、久しぶりにお元気そうな直樹さんの姿を見て、
とても嬉しかったです。

作家として活躍なさる姿は本当に眩しいです。

長編小説が今からとても楽しみです。

直樹さんの言葉は、一言でも、魂に深く響きます。

みんなの未来が同じ場所にある事、私も願いながら生きていきたいです。

No title

番組を拝見しました。
とても興味深い内容で、今回も前回同様、新しいことに気づくことができました。
以前の放送を機に、御本も読ませて頂きました。

東田さんは英語も勉強されているのですね。
新しいことへ挑戦されているということで、応援しています。

自分がこう思われたいとか、持っているものを全て取り払って見て欲しいという気持ち、
分かる気がしました。
大切なのは、本の内容やどう見られるかではなく、
感謝を忘れないことです。残っていく人は、それを大切にしています。
きっと東田さんもそうなんじゃないかなと感じました。

生きる基準

こんばんは。
「可哀想」不思議な言葉です。もしも寒さで倒れてしまった鳥に会っても 人によって「可哀想」だったり 「お疲れ様」だったり「生まれてまた帰って行く」と人それぞれの感想を持つと思う。
人は自分に当てはまらない個人的評価を貰った時に「不快さ」を感じる。
「可哀想」も人によっては嬉しく思う人もいるかもしれない。
私は良く 人に紹介される時「ちょっと変わった人」と紹介されます。小さく深く 不快です。個性は愛すべきもので 自分だけの物差しでなく その人の物差しを想像して欲しいです。それぞれの中の 他の人には見えない大きな世界を 共有したり 認めてくれる人がいる。幸せって そんなものだと思います。

私の場合

可哀想だと感じる基準はわかりません。
ただそれは、''可哀想''という言葉より、
まず、苦しく悲しい気持ちになるように思います。

瞬時に自分と相手を置き換え、自分が苦しむ、ということなのでしょうか?

でも、今の自分はその苦しい状態にはないのです。

それを思い出した時、
そのまま通り過ぎず、自分はどうすべきか考えてみることが大切なのだろうと最近思います。

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プロフィール

東田直樹

Author:東田直樹
会話のできない重度の自閉症。自閉症、絵本、詩集など21冊の本を執筆。東京大学(2回)、福岡女学院大学ほかで、講演会を開催。パソコンおよび文字盤ポインティングにより、援助無しでのコミュニケーションが可能。

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