[再掲載]講演会6/3@千葉県我孫子市
■イベント名 障がい理解コンベンション2012inちば
自閉症をもっと理解して、自閉症の可能性を探ろう!
■日時 平成24年6月3日(日)10時〜16時
■会場 けやきプラザふれあいホール
千葉県我孫子市(JR常磐線 我孫子駅 徒歩1分)
■定員350名(どなたでも可) 5/7現在、席に余裕があるとのことです。
■スケジュール
10時〜12時 映画 「ぼくはうみがみたくなりました」
13時〜16時 講演会 東田直樹「自閉症の僕が振り返る心の軌跡」
東田美紀「直樹の文字盤ポインティング習得方法」
■料金 映画参加:500円 講演会参加:1500円
■お申し込み方法 [ここ]をクリックして、下の方にある「申込フォーマット」に記入し、
一番下の[送信]をクリックして下さい。

当面、この記事は、一番上に表示されます。
それまで最新の記事は、上から2番目の記事になります。
自閉症をもっと理解して、自閉症の可能性を探ろう!
■日時 平成24年6月3日(日)10時〜16時
■会場 けやきプラザふれあいホール
千葉県我孫子市(JR常磐線 我孫子駅 徒歩1分)
■定員350名(どなたでも可) 5/7現在、席に余裕があるとのことです。
■スケジュール
10時〜12時 映画 「ぼくはうみがみたくなりました」
13時〜16時 講演会 東田直樹「自閉症の僕が振り返る心の軌跡」
東田美紀「直樹の文字盤ポインティング習得方法」
■料金 映画参加:500円 講演会参加:1500円
■お申し込み方法 [ここ]をクリックして、下の方にある「申込フォーマット」に記入し、
一番下の[送信]をクリックして下さい。

当面、この記事は、一番上に表示されます。
それまで最新の記事は、上から2番目の記事になります。
僕の悪いところ
僕の悪いところを、家族は笑って許してくれます。
もちろん、そのときには、叱られます。
対策も考えてくれます。
でも、そのあとは、何事もなかったように、いつもの
我が家に戻るのです。
僕は、そうしてくれることに救われています。
誰でも失敗したときには、居心地が悪くなるものです。
僕が、明日も頑張ろうと思えるのは、そんな家族のやさしさが
あるからです。
もちろん、そのときには、叱られます。
対策も考えてくれます。
でも、そのあとは、何事もなかったように、いつもの
我が家に戻るのです。
僕は、そうしてくれることに救われています。
誰でも失敗したときには、居心地が悪くなるものです。
僕が、明日も頑張ろうと思えるのは、そんな家族のやさしさが
あるからです。
生きていくために
生きていくために
幸せになりたくて
何かにすがる
生きていくために
毎日が辛くても
寝て 食べて 笑う
生きていくために
自分の心も体も
いつかは なくなってしまうのに
人は 生きることに必死だ
泣いて 汚れて 絶望して
生き続ける理由がわからなくなっても
人は当たり前のように
息をする
死なないために
自分を見失わないように
生きていくために
今日を生き抜く
東田直樹
幸せになりたくて
何かにすがる
生きていくために
毎日が辛くても
寝て 食べて 笑う
生きていくために
自分の心も体も
いつかは なくなってしまうのに
人は 生きることに必死だ
泣いて 汚れて 絶望して
生き続ける理由がわからなくなっても
人は当たり前のように
息をする
死なないために
自分を見失わないように
生きていくために
今日を生き抜く
東田直樹
僕の空
僕の空
本当に空が青くて広いなら
この手の中に 包んでみよう
それは無理だと人が言う
本当に星がピカピカ光るなら
この手の中に つかんでみよう
それは夢だと人が言う
僕の両手に握れるだけの
小さな空とひとかけらの星屑
それを抱えて生きることが
僕の人生の目標
東田直樹
本当に空が青くて広いなら
この手の中に 包んでみよう
それは無理だと人が言う
本当に星がピカピカ光るなら
この手の中に つかんでみよう
それは夢だと人が言う
僕の両手に握れるだけの
小さな空とひとかけらの星屑
それを抱えて生きることが
僕の人生の目標
東田直樹
自閉症の僕が、誰かに話したいと思うとき
誰かに話したいと思うのは、どんなときでしょうか。
何かいいことがあったとき、悲しいことがあったとき、
それとも、辛いことがあったときですか。
僕は、いつも自由に話しができるわけではありません。
好きなときに話しができないのは、不便だし苦しいものです。
そんな僕が感じるのは、話すことができればいいのにと
思うときが、普通の人と話せない人では、違うのではないか
ということです。
たぶん、みんなは、泣いている訳が知りたい、
どうして言ったことをしないのか、その理由を教えて
もらいたいのでしょう。
僕が話したいと思うときは、たとえば、家族の誰かが
落ち込んでいるときに「どうしたの、大丈夫?」と
声をかけられなかったり、自分が迷惑をかけたときに
「ごめんなさい」と謝れなかったりしたときです。
そんなこと、と思うかもしれません。
けれども、本当に話したいことは、特別な理由や弁解や思い
以上に、日常生活のさり気ない言葉の中にこそあるのでは
ないのでしょうか。
何かいいことがあったとき、悲しいことがあったとき、
それとも、辛いことがあったときですか。
僕は、いつも自由に話しができるわけではありません。
好きなときに話しができないのは、不便だし苦しいものです。
そんな僕が感じるのは、話すことができればいいのにと
思うときが、普通の人と話せない人では、違うのではないか
ということです。
たぶん、みんなは、泣いている訳が知りたい、
どうして言ったことをしないのか、その理由を教えて
もらいたいのでしょう。
僕が話したいと思うときは、たとえば、家族の誰かが
落ち込んでいるときに「どうしたの、大丈夫?」と
声をかけられなかったり、自分が迷惑をかけたときに
「ごめんなさい」と謝れなかったりしたときです。
そんなこと、と思うかもしれません。
けれども、本当に話したいことは、特別な理由や弁解や思い
以上に、日常生活のさり気ない言葉の中にこそあるのでは
ないのでしょうか。







